賭けると託すが生み出すもの

やきゅうのうた
05 /19 2017
グラウンドには夢があるという。
そこに立つ者たちは、生活のすべてをプレーに向けている。
選ばれた人間だけが挑戦権を得られる賭ける夢だ。
しかし夢は外にもある。
スタンドでテレビの前で、仕事をしながらラジオやインターネットで試合に触れる人たちが見るのは託す夢だ。

劇的な試合は一年にそう何度もあるものではない。
立ち会えることは稀であることも多い。
しかしそれでもいつかはと、筋書きのない勝負事の場に人は目を向ける。

そこには、素晴らしい才能を持ち、わくわくさせてくれるヒーローがいる。
故障を乗り越え、背景を持った選手となって戻ってきた苦労人がいる。
わずかな出番をつかむために準備を怠らない職人がいる。
怖さ知らずの若手がいる。
すべての選手がグラウンドに夢を賭け、ファンは夢を託す。

嫌なことがあっても、一球一打に一喜一憂している間は忘れられる。
見ず知らずの人と手を合わして喜んでいることもある。
そこに立場や性別はない。
勝利は賭ける者と託す者をつなぐ喜びとなる。

負け試合も悪くない。
こうすれば、こうなれば。
ため息の数と嘆きの声は、それだけ試合にのめり込んでいる証だ。
Ifは、賭ける者と託す者共通の後悔となる。

数時間の試合の中に凝縮された選手たちの一喜一憂が、ファンには日頃の嫌なことを忘れさせ、喜びを大きなものにする。

グラウンドには夢がある。
賭ける夢と託す夢。
賭ける者と託す者。
感動は、その両方が生み出すもの。
そこに参加する喜びが、今日も勝負の世界に目を向けさせる。

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放物線に見る夢と願い

やきゅうのうた
05 /10 2017
努力は報われないことが多いということを、人はどこかでわかっている。
正しいと思って行動していても、成果が上がるとは限らない。
向かっていく方向は、正しいと思っていても、それを認めてもらえるとは限らない。
人それぞれ正しいという価値観は違う。
力のあるものがその正しさを決める。
集まれば、人数がそれを決める。
そこで敗れれば、努力は苦労にしかならない。

苦労を好んでする人はいない。
「若い時の苦労は勝ってでもしろ!」
そう言えるのは、数少ない努力が報われた人たち。
無名の人たちの努力は、多くの成功の足元に転がっているだけだ。

しかしどこかで、人は努力が報われて欲しいと思っている。
挑まなかったこと、途中であきらめたこと、誰もが大なり小なり持っている願いを叶える姿を見たいと思っている。

グラウンドに立つ者たちは、選ばれた人たちだ。
そして輝きの中に身を置いたことがある人たちだ。
たとえその努力を知らなくても、苦労を見ていなくても、光の中にあった人が、再び戻ってくるには、どれだけのことを乗り越えてきたかを想像は出来る。

だから願う。
その放物線が歓喜の輪の中に飛び込むことを。
放った選手が願うのと同様に、「届け」と声を出し、「行け」と指をさす。
グラウンドには夢がある。
それは華々しいものだけではない。
背景には、努力と苦労が観客には見えているのだ。
だから美しい。
だから感動する。
もっとも嬉しいのは、報われた者だ。
しかしその一部を共有出来るのは幸せなこと。

努力は報われないことがほとんどだと知っている。
苦労を乗り越えるのは、厳しいことだとわかっている。
だから報われた者たちを観に、球場へ足を運ぶのだ。
いつか自分の努力が、苦労が報われると、もう一度信じられるようになるために。

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どんな季節に咲く花も

04 /29 2017
春のような年に見つけた夢は、
穏やかな心から生まれ、
少し梅雨のように落ち込むことがあっても、
強い陽の光を浴びて、大きく育ち、濃い色の花を咲かせるでしょう。

夏のような年に降ってきた夢は、
強い情熱で突き進み、
急いだ分、花の季節は短く、
辛い時期を過ごしても、乗り越えれば淡い色の花を咲かせることでしょう。

秋のような年に巡り合った夢は、
実りを楽しみながら歩み、
少し寂しく辛い目にあったとしても、
穏やかな優しい心が、鮮やかな色の花を咲かせるでしょう。

冬のような年に見上げた空見た夢は、
傷つきながら心を強くし、
そこを超えれば穏やかな日々を迎え、
花を咲かせ、色づく葉を残すでしょう。

春は始まりの季節だという。
だからといって、そこで見つけたものだけが、きれいな花を咲かせるわけじゃない。
それぞれの季節に花は咲く。
いつ見つけてもきれいな花を。
それぞれの生きた道が違うのだから、
いつ見つけても、夢は夢。

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愚者でいい

03 /16 2017
自分を賢者という人は、
耳障りのいい言葉を使って、
道の正しさを解くだろう。
考える必要などない。
言うとおりにすればいい。
歩かされる道の下には、何があったのかを教えずに。
そんな賢者の言いなりに、
なりたくないから僕は、
自分で考える愚者でいたい。
馬鹿だと言われても、自分で道を選ぶ愚者でいたい。

自分を勇者という人は、
大きな声で力を誇示し、
戦うことを正義というだろう。
怖がる必要などない。
危ない時は助けてやる。
振り向くのを許さずに、逃げ道を用意しいうだろう。
そんな勇者のために、
戦いたくないから僕は、
愛する人のために戦う愚者でいたい。
貧しくても、自分の大切な人を守る愚者でいたい。

自分を聖者という人を、
どうして信じることが出来るだろう。
見知らぬ人のために、汗や涙を流す人は、
いつも黙っているというのに。

賢者に聞くことなく、
正しい道を自分で選び、
勇者の力を借りず、
大切なものを守るために立ち向かい、
聖者よりも、沈黙する無名な人の声に耳を澄ます。
愚者でいい。
例え馬鹿だといわれても、心を獲られるより、
自分で決める愚者でいたい。

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夢を思い出させてくれる叶えた者たち

やきゅうのうた
03 /15 2017
人は誰でも夢を持つ。
幼い頃、自分の狭い世界の中で、夢に遊ぶ。
しかしやがて、世界が広がり、楽しみが増えていくたびに、夢は変化をしていく。
まだ変化ならいい。
たいていの場合、夢は想い出のひとつとなり、心の中に留まったまま、小さな光を持ったまま固まっていく。

人がスポーツに熱狂するのは、彼らが夢を叶えた特別な人たちだからかもしれない。
ただ夢はかなった瞬間に現実となる。
グラウンドで輝く人たちは、外から見る者にとっては、華やかであっても、彼らにとっては、それが現実であり、仕事。
頂点に立てば、普通の生活では味わえない達成感を持つことは出来るが、ほとんどの日々は苦しさの積み重ねだ。

しかしかなえた人である以上、彼らは例外なく夢を持った人たちだ。
そしてそれを途中で捨てなかった人たちだ。
夢がかなうことが、どれだけ素晴らしいことを知っている人たちだ。

そんな中から選ばれた人たちが、今同じユニフォームに身を包み、グラウンドで躍動する。
その舞台は、彼らにとって仕事ではない。
まるで、子供だった時のように、少年だった時と同じように、他人のプレーを純粋に喜ぶことが出来る。
普段は敵味方にわかれていても、今は同じ目的を持ち戦っている。
ただ勝利だけを目指して、戦っている。

「振り向くな後ろに夢はない」
そう書いた作家がいた。
大きなプレッシャーの中に包まれているが、これまで培った技術と蓄えられた体力で、目の前の試合に挑む。
後悔はしても振り向かず、前を向いて進み。
外にいる人たちは、それを目の前で見て感動を覚える。
共に振り返ることはない。
ただ、ただ「勝ちたいと」「勝ってほしいと」前を向いているだけだ。

かなえた人たち、かなえられなかった人たちも、その場で夢を抱えている。
諦めた夢も、届かなかった想いも、まだ心の中にあるままだ。
「振り向くな後ろに夢はない」
夢は、今立っている人の、心の中にそのまま残っている。
想い出の中にあるのは、夢のかけらはほとんどこぼれてしまったのかもしれない。
ただまだかすかにでも残っているはずだ。
それを教えてくれるのは、目の前で躍動する選手たち。
その姿に感動するなら、まだ夢は残っている。
確かに誰の心の中にも。

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ryoukouno

紘野涼です。
「スワローズ観察日記R」の管理人
仕事はフリーランスでライターやプランナーなどその他もろもろという感じです。
こちらではメインブログ、仕事では書けないようなもの、これまで書き散らかしたものをまとめていこうを思っています。
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