愚者でいい

03 /16 2017
自分を賢者という人は、
耳障りのいい言葉を使って、
道の正しさを解くだろう。
考える必要などない。
言うとおりにすればいい。
歩かされる道の下には、何があったのかを教えずに。
そんな賢者の言いなりに、
なりたくないから僕は、
自分で考える愚者でいたい。
馬鹿だと言われても、自分で道を選ぶ愚者でいたい。

自分を勇者という人は、
大きな声で力を誇示し、
戦うことを正義というだろう。
怖がる必要などない。
危ない時は助けてやる。
振り向くのを許さずに、逃げ道を用意しいうだろう。
そんな勇者のために、
戦いたくないから僕は、
愛する人のために戦う愚者でいたい。
貧しくても、自分の大切な人を守る愚者でいたい。

自分を聖者という人を、
どうして信じることが出来るだろう。
見知らぬ人のために、汗や涙を流す人は、
いつも黙っているというのに。

賢者に聞くことなく、
正しい道を自分で選び、
勇者の力を借りず、
大切なものを守るために立ち向かい、
聖者よりも、沈黙する無名な人の声に耳を澄ます。
愚者でいい。
例え馬鹿だといわれても、心を獲られるより、
自分で決める愚者でいたい。

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夢を思い出させてくれる叶えた者たち

やきゅうのうた
03 /15 2017
人は誰でも夢を持つ。
幼い頃、自分の狭い世界の中で、夢に遊ぶ。
しかしやがて、世界が広がり、楽しみが増えていくたびに、夢は変化をしていく。
まだ変化ならいい。
たいていの場合、夢は想い出のひとつとなり、心の中に留まったまま、小さな光を持ったまま固まっていく。

人がスポーツに熱狂するのは、彼らが夢を叶えた特別な人たちだからかもしれない。
ただ夢はかなった瞬間に現実となる。
グラウンドで輝く人たちは、外から見る者にとっては、華やかであっても、彼らにとっては、それが現実であり、仕事。
頂点に立てば、普通の生活では味わえない達成感を持つことは出来るが、ほとんどの日々は苦しさの積み重ねだ。

しかしかなえた人である以上、彼らは例外なく夢を持った人たちだ。
そしてそれを途中で捨てなかった人たちだ。
夢がかなうことが、どれだけ素晴らしいことを知っている人たちだ。

そんな中から選ばれた人たちが、今同じユニフォームに身を包み、グラウンドで躍動する。
その舞台は、彼らにとって仕事ではない。
まるで、子供だった時のように、少年だった時と同じように、他人のプレーを純粋に喜ぶことが出来る。
普段は敵味方にわかれていても、今は同じ目的を持ち戦っている。
ただ勝利だけを目指して、戦っている。

「振り向くな後ろに夢はない」
そう書いた作家がいた。
大きなプレッシャーの中に包まれているが、これまで培った技術と蓄えられた体力で、目の前の試合に挑む。
後悔はしても振り向かず、前を向いて進み。
外にいる人たちは、それを目の前で見て感動を覚える。
共に振り返ることはない。
ただ、ただ「勝ちたいと」「勝ってほしいと」前を向いているだけだ。

かなえた人たち、かなえられなかった人たちも、その場で夢を抱えている。
諦めた夢も、届かなかった想いも、まだ心の中にあるままだ。
「振り向くな後ろに夢はない」
夢は、今立っている人の、心の中にそのまま残っている。
想い出の中にあるのは、夢のかけらはほとんどこぼれてしまったのかもしれない。
ただまだかすかにでも残っているはずだ。
それを教えてくれるのは、目の前で躍動する選手たち。
その姿に感動するなら、まだ夢は残っている。
確かに誰の心の中にも。

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燕の光と影が戦うWBC

やきゅうのうた
03 /09 2017
陽の当たる人の足元には、影が出来る。
その影は、人の動きに合わせ、形を変え、位置が変わるごとに大きさも変える。

光と影。
この言葉は、いろいろな世界のライバルに使われる比喩でもある。
今、行われている野球世界一を決めるワールド・ベースボールクラシックにも、その例えにぴったりの二人がベンチへ入っている。
メジャーリーグから唯一参戦した青木宣親と、スコアラーとしてベンチ入りしたスワローズの志田宗大だ。

2001年のドラフト会議、志田はドラフト8位という低評価でスワローズに入団する。
同年1位は青山学院大学で同期の石川雅規。
志田の指名を「コネ入団」という人もいた。
しかし志田は、ルーキーイヤーにファームで3割以上の打率を残し、一軍昇格を果たしただけでなく、初安打、初本塁打も記録し、その汚名を返上した。
そして翌年、背番号も67から0へ変更。
2年目こそ試合数を減らしたが、3年目には91試合、レギュラーの足掛かりをつかんだ。
追い風も吹いていた。
レギュラーであった稲葉がFA宣言によりファイターズへ移籍。
ただ志田よりも風を受けていた選手がいた。
その風の勢いは志田を吹き飛ばすほどの威力を持っていた。

当時の若松監督は、空いたポジションに志田と2年目を迎えた青木の併用を考えていたという。
春のキャンプで故障発生、それにより若松監督の外野構想は青木一択となった。
青木はシーズン序盤こそ苦しんだが、途中から加速。
リーグ初の200安打を達成、首位打者、新人王を獲得。
風は、青木を陽の当たる場所へ運んで行った。

逆に志田は、影を追いやられてしまう。
決して成績が悪いわけではない。
ただスワローズの外野には、4番を務めるラミレスがおり、その不安から守備固めの選手をベンチへ置いておかなければならなかった。
勝っていれば試合後半、負けていてもラミレスが出ている以上、代打に出ることもない。
2007年59試合に出場した志田だが安打は0。
これが志田の役割を最も表した数字だろう。

青木のその後は、語る必要もないほどだ。
2度のシーズン200安打、首位打者3回など、タイトルを複数獲得し、プロ野球を代表する選手になっていく。
そして2010年”ミスタースワローズ”の象徴である背番号1を背負う。
その年、志田の出場試合数は1。
引退するために与えられた1試合だった。

一年140試合以上、また多少の入れ替えがあっても同じ相手と対戦するプロ野球では、ユニフォーム組だけが戦っているわけではない。
青木がメジャーの生存競争の中でもがきながらも這い上がっていく中、志田もまたユニフォームを脱いだものの、グラウンドではない場所で戦い続けていた。

その2人が2017年、同じベンチにいる。
青木はチームを牽引するベテラン、そして唯一のメジャーリーガーとして。
志田は日本代表のスコアラーとなり裏方として支える存在として。

影が光を受ける人を動かす。
実際にはあり得ないが、スコアラーというのは、そういう存在なのかもしれない。
データのない相手と対戦する選手にとって、スコアラーは頼みの綱だ。
志田はたしかに影ではあるが、この大会では光を操る存在になった。

志田はもちろん、青木もエリートとしてプロ野球の世界へ飛び込んだわけではない。
共に泥臭く這い上がってきた選手だ。
しかしちょっとしたズレが道を変えた。
そんな2人が時を経て、同じ場所でそれぞれの役割を得た。
華やかに扱われるのは選手であり、スコアラーはあくまでも影の存在。
まるで青木と志田のプロ野球人生をそのまま表しているようだ。
ただ今の2人に、かつての争いは存在しない。
勝利を目指すという目標を共有する、チームメイトである。

青木と志田は、スワローズに一時生まれた光と影だ。
その道は、それぞれに向きを変え作られてきた。
それが、今平行に同じ方向へ向かっている。
これもWBCの期間だけ、一時のことだ。
ただこれまでの2人の道のりを思うと、少しでもその時間が長ければと願う。

光あるところに影。
ドラマは光だけでは成り立たない。
影があってこそ、その華やかさが増す。

「想い出の選手たち~志田宗大~」2010.10/14

「想い出の選手たち~青木宣親~」2012.1/18

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ただ届けと願う

03 /03 2017
なにを届けようとしているのだろう。
どこの誰かもわからない人へ。
自分のことを知らない人へ。

なにをわかってもらいたいのだろう。
今どんな暮らしをしているかわからない人へ。
自分に興味がない人へ。

時々わからなくなる。
何にもならない言葉を並べ、
相手の気持ちを考えていないかもしれない想いを連ね、
自分勝手なだけだと思うことがある。

それでも届けと願う。
寂しいのかもしれない。
どこかに孤独を抱えているのかもしれない。
そんな思いを抱えながら、向かっている先のわからない言葉の影を見送る。

そして届けと願う。
一人でも、心にとめてもらえる言葉があれば。
それが誰のところに着いたのか、そんなことはわからなくてもいい。
ただただ、届けと願う。

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傷跡を見せるのはさらに戦う気持ちを強くするため

やきゅうのうた
02 /24 2017
彼は傷を隠すのをやめた。
それは覚悟なのかもしれない。

プロで生きていくために、無理をしてきた。
負担がかかるとわかっていても、信じたフォームを変えることはなかった。
だから、無理がもっともかかる、肩、肘をいたわるように、真夏でも長袖のアンダーシャツを着続けていた。
しかしそれでも、限界を超えていたのだろう。
彼の肘は、耐えてはくれなかった。

肩、肘の傷を勲章という人がいるが、彼はそう思っていないだろう。
プロである以上、故障などしない方がいい。
腱が切れた時の事、不安を抱えた手術、苦しいリハビリ。
マウンドに上がっている以上、 心の傷が思い出されるばかりだ。
これを勲章だと思えるはずがない。
縫い跡の数は、彼の苦しみと同じだ。

彼は、長袖のアンダーシャツをやめた。
もう代わる腱はない。
さらけ出された傷は、日焼けしていく他の肌とは違う色をしている。
そして彼は若い時と同様に腕を振る。
いつ来るかわからない、しかし確実に来る”最後の一球”への恐怖を振り切るように、腕を振る。
プロとして自分の場所を得るために、以前同様無理を覚悟で腕を振り切る。

彼は傷のある腕をいたわるのをやめた。
ただ大事にしなくなったわけではない。
何度も奇跡を起こしてくれた傷の入った腕と共に、最後の戦いをする覚悟をしたということだ。
いつまでももつか、もってほしい、それは祈りに近いのかもしれない。

いつか彼がグラウンドを去った時、思い出を語れる相手は、傷だらけの腕なのだろう。
そのとき語るべきマウンドでの思いを増やすために、彼は今年もマウンドへ上がる。
自らを追い込み、何度も傷つけた腕に語りかけながら、戦い続ける。

彼の復活は奇跡と呼ばれた。
しかし彼は否定するだろう。
プロである以上、マウンドへ立つのが仕事だと。
当然のことをしただけだと。
これが自分の仕事なのだと。

もし野球の神様がいるなら、そんな覚悟を持つ彼に、その針の通った数だけの勝ち星をと願う。
それが成し遂げられたとき、彼の傷は思い出多き誇りとなるのだろう。

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紘野涼です。
「スワローズ観察日記R」の管理人
仕事はフリーランスでライターやプランナーなどその他もろもろという感じです。
こちらではメインブログ、仕事では書けないようなもの、これまで書き散らかしたものをまとめていこうを思っています。
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