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好きなのは弱者ではなく勇者

エッセイ
06 /20 2017
まだ私が幼い頃、どこの家庭でもそうだったように、TVのチャンネルの権利は父にあった。今とは違い、子供の見るような番組はせいぜい19時までだったから、それでも十分だった。
ただ我が家の場合、父は私を横に座らせ、同じ番組を見た。
その影響が、私をガチガチのスワローズファンにさせる。
スワローズファンだというと、「あんなに負けているチームのファン?」と言われた。
負けに腹を立てていると、「それなら勝つことの多いチームにファンになればいい」と言われた。
確かにそう思ったことはある。
しかし負けていることがいいわけではない。
勝つチームを応援すればいい。
そういうことではないのだ。
力では劣っていても、向かっていく姿、そして目一杯の戦いを挑み、時に勝つ。
そういう戦いを見て、感動したいから、私はきっとスワローズファンなのだと思う。

幼い頃、野球と同様に今では死語に近いゴールデンタイムの中心に、ボクシングがあった。
まさにボクシング全盛期であり、日本には何本もの世界チャンピオンベルトがあった。
その世界戦が中継される場合父は、たとえスワローズ戦の中継があっても、チャンネルをそこへ合わせた。

その日本に何人かいる世界チャンピオンの中で、幼い私が惹かれたのが輪島功一。
今では元ボクサーということは知られていても、天然のボケを噛ますダンゴ屋の親父としか思われていない人だが、日本初の重量級の世界チャンピオンであり、防衛戦で敗れた相手から2度もベルトを取り返した、世界的にも珍しい伝説の中人だ。

父にある意味強制されて見せられていた野球は、願い通りにスワローズファンとなったが、好みという部分では重なっていたわけではない。
野球なら父は投手をメインに見る人であり、私は打者目線が好きであった。
ボクサーの好みも違いがあり、父は足を使う正統派を好んだが、私は泥臭いファイタータイプに惹かれた。
そんな区分けがあったことは、当時知るわけもないが、おそらく何試合もテレビで見ていたであろう、ボクシングの試合で、私が覚えてたのは、輪島功一だけであった。

北海道から上京し、何か商売を始めたいと建設現場などで働き、偶然見つけたボクシングジムに24歳で入る。
年の変わらない世界チャンピオンだったファイティング原田が引退したのが25歳。
輪島はその年デビューをしている。
異例のデビュー、しかもその頃日本人では太刀打ちできないと言われた重量級のジュニアミドル(現在の階級の呼び名はスーパーウェルター)。
170センチ半ばの身長の選手が多い中、輪島は169センチ、リーチも短く、30センチ相手と差がある時もあったという。
相打ちでは勝てない、中へ入ると簡単にいうが、重量級のパンチを掻い潜り打ち込む勇気は生半可なものではなかったはずだ。
しかし輪島はそこでチャンピオンとなり、6度の防衛に成功している。
突然相手の視界から消えしゃがんでしまう”かえる跳び“、向き合っている相手からいきなり視線を外す”あっち向いてホイ“など、奇妙な策を用いて、観客を沸かした。
当時の映像を見ると、ボクシング中継でありながら、実況アナが「場内大爆笑であります」という声が聞かれる。

そんな輪島の経歴など、幼い私が知るわけもない。
また「場内大爆笑です」という実況も覚えていない。
ただただテレビの画面に引き込まれ、食い入るように見ていた。
私の中では、世界チャンピオン=輪島功一であり、ヘビー級のモハメド・アリでも日本の防衛記録を作った具志堅用高でもなかった。

その輪島の試合で、私に印象に強く残っているのは7度目の防衛に失敗した負けたものだ。
終盤輪島はダウンを奪われた。
顔は腫れあがり朦朧としているのが、子供の目でもはっきりわかった。
横で見ていた父の「立つぞ」という言葉も覚えていた。
私はもう負けたと思ってみていたのだが、父は「寝てろと言われても輪島は立つんだよ」といった。
その通り輪島は立ちあがり、また滅多打ちされる、そして2度目のダウン。
それもまだ立ち上がるが、輪島は崩れるように倒れて落ちた。
1ラウンドで3度倒れたらカウントは数えられない、その時点でKO負けだ。
「これで引退かな」
父のその言葉に、私はもう輪島のボクシングは見られないのかと残念に思ったのを覚えている。

大人になり、沢木耕太郎氏の著作、ナンバービデオで輪島の試合を見直すと、子供の頃私がどこに惹かれていたのかわかるような気がした。
「場内大爆笑」という実況もあったが、輪島は真剣そのものだった。
そして相手のパンチを集中して受けると、体を入れ替え同じだけ打ち返しに行く。
採点で勝っていて、セコンドが逃げてかわして判定に持ち込めといわれても、言うことなど聞かない。
輪島は正面から打ち合いを挑んだ。
「100人の内99人が負けるといっても、1人が勝つと思えばリングに上がる。それがたとえ自分ひとりだとしても」
誰もが負けると思っていても、輪島はリングに勝つために上がる。
世界戦でKO負けし、意識不明に陥った後、自分で点滴を抜き、無理やり食べ物を口にねじ込んだ。
歩くことから始まり、階段を上り、走れるようになる。
勝ち負けどころかリングに上がるすら無理と思われた周囲を裏切り、復帰しリターンマッチでチャンピオンベルトを取り返した人だ。
「輪島が勝つ試合を見に来ている奴ばかりではないんだよ。ダウンするのを喜ぶ奴もいる。それを裏切ってやるんだ。立って戦ってやる」

輪島は世界チャンピオンだった人だ。
弱いわけはない。
ただ肉体的なハンデは、常に付きまとった。
それでも策を練り、勇気を持ち、相手との戦いに挑んだ。
そして誰もが負けると思っていた相手に勝っていった。
まるで映画の「ロッキー」だった。
しかし違うのは、それが現実だということだ。
その人の姿に、何も知識を持たない子供だった私は感動していたのだ。

スポーツは勝ち負けだけではないという。
しかしそれはファンの言い訳でしかない。
グラウンドで選手が、必死に勝利へ向かって戦う。
その姿勢の中にしか、好プレーや感動のシーンは生まれない。
スワローズは戦力で劣っている。
90年代強かった時代はあったが、連覇は一度だけ、優勝の翌年には前年の無理がたたって
Bクラスへ沈むチームだった。
資金力のあるチームに、戦力が豊富なスター軍団に、泥臭くみっともない姿になっても向かっていく姿が好きだ。
輪島功一がそうだったように、誰もが負けると思っていても、監督は、選手は勝つ可能性を探り、勝利へ結びつける。
スワローズにはそういう試合が、これまでの数多くあった。
負けるチームが好きなのではない。
強者に向かう勇者が好きなのだ。

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紘野涼です。
「スワローズ観察日記R」の管理人
仕事はフリーランスでライターやプランナーなどその他もろもろという感じです。
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