「バカだなあ・・・お前は」
少年に向かって、その男は言った。
少年が男に出会ったのは、アルバイト先の小さなレストランだった。
男は少年より15歳ぐらい上で、定職につかずバイト生活をしていた。
しかし、少年はその男が好きだった。
少年が今まで見て来た大人のようなずるさを持たず、素直に生きているように見えたからだ。
地位や立場にはなびかなかったが、目下の者のためには平気で頭を下げる人だった。
周りの人たちはそんな男を見て、あんな生き方をしていては社会からはみ出るばかりだといった。
少年の目には、周りで悪口を言っている人たちより、男の方が仕事が出来るように見えた。
そのことを少年が口にすると、男はただ笑顔でいるだけだった。
「世の中っていうのは、肩書きがあったほうが便利だ。ないよりあった方がいい。そういう支えがあれば、楽に立っていられる。でもその支えは、誰か知らない人が作ったもののように感じるんだ。やっぱり、支えは自分で作ったものじゃないと、安心できないよな」
店が暇な時、男がふと漏らした一言だ。
少年は男の様な大人になりたいと言った。
それを聞いた男は、
「バカだなあ・・・お前はオレとは違う人間なんだ。どんなに望んでも、オレはお前にはなれないし、お前はオレにはなれない。だから・・・」
そう言い、少年を見た。
「どうせ憧れるなら、自分に憧れた方がいい。こうなっていたいという自分を心に描いて、その自分に憧れろ。そのほうがいい」
男はそれからしばらくして、店を去った。
少年はやがて青年になり、平凡な肩書きを手に入れ社会の中にいる。
仕事に疲れた電車の中や、下げたくもない頭を下げた後に、ふと男のことを思い出す。
自分は、「こうなっていたいと憧れた自分になれているのだろうか?」と。
きっとなれてはいないだろう。
でもそんな弱音を男が聞いたら、きっと言うだろう。
「お前は諦めるほど、生きてはいないだろう。オレだってまだ諦め方がわからないのに」
諦め方を知った大人より、いつまでもわからない不器用な男の方が魅力的に思える。
少年の頃に持った憧れは、まだ心に残っている。
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