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逃げ場所

エッセイ
10 /05 2010
映画館が逃げ場所であった。

東横線の渋谷駅のホームから見える場所に4館の映画館が入ったビルがあった。
屋上に銀色に光る帽子のようなプラネタリウムの突起物が目立つ建物。
渋谷東急文化会館。
ここが僕の遊び場であり、逃げ場所だった。

僕が幼い頃、父はこのビルで働いていた。
電気技術士だった父の出勤時間はまちまち、休みも不規則だった。
もともと父と母が出会った場所であったから、それまでも頻繁に行っていたのだが、妹(生まれる前はもちろんどちらだかわからなかったが)の出産前、そしてその後しばらく父は僕を職場である文化会館へ連れて行った。
職場はビルの地下にあり、上司はいたのだろうが時代のせいか、もしくは陽の当たらない技術屋の集まる場所だったからか、子供を連れて行っても文句を言われるようなことはなかった。
というより、むしろ可愛がられた。
仲間内で一番最初に出来た子供。
ただそれだけの理由で、気難しい技術屋たちの目尻が下がった。
それにビル全体の電気系統を仕切る地下のその場所はまるで基地のようで、子供心にもわくわくするような気持ちを持っていった。

しかしだからといって、仕事場にずっと子供を置いておくわけには行かない。
父は頃合いを見計らうと、僕に10円玉を握らせ、ビルの中に放つ。
子供ひとりがうろついても平気、そういう時代だったともいえるが、だいたい技術屋というのは修理などで呼ばれることが多いから、ビルの中で働いている人は父のことを知っているし、僕がその息子だというのもわかっている。
気難しい人が多い技術屋の中で、父はまれな社交性を持っており、そういう意味でも得な面があった。
それにこの頃から僕は、ほっぽて置かれるのが苦にならない、1人遊びが好きな子供だった。

僕は商業施設の並ぶところから、手を振られながら屋上のゲームセンターへ向かう。
当時のゲームセンターというのは、今のものと違い、子供が遊ぶものが多かった。
ちょっと気取ったアンちゃんが遊んでいるのは、ピンボールぐらいで、そういう人も子供を見ると笑顔を向けるぐらいしか関心がない時代だった。
僕はだいたい、10円で成功すると何度でもリプレイが出来るゲームをする。
車のゲームだった。
今のように高度のものではないから、車が動くのではなくて、アクセルを踏むと道が動いて、そこに描かれた車に当たると失敗というものだった。
それだけに何度もやっていると、どう避ければいいか覚えてしまい、永遠にリプレイになる。
さすがに飽きると、今度は映画館に向かう。

文化会館は渋谷を代表する映画館「渋谷パンテオン」があるような場所だったから、子供の観るようなものはかかっていない。
ただハリウッドには、ポール・ニューマン、スティーブ・マックイーン、ロバート・レッドフォード、ヨーロッパではアラン・ドロンと、今では伝説になっているようなスターが若く、スクリーンで輝いていた頃。

しかし当時の僕は、そんなことはどうでも良かったらしい。
とにかく映画館が好きだったようだ。
入り口でもぎりのお姉さんに顔を見せる。
売店のお兄さんが、「内緒だよ」といってコーラを渡してくれたり、偉い人の姿が見えないとお菓子までくれた。
それを持って劇場へ入る。
とくにお気に入りだったのは、5階にある「渋谷東急」。
パンテオンには劣るものの、900弱座席のある今なら大劇場と言われるような大きさを持ち、ロビーも広かった。
この劇場の真ん中に通路が走っていて、そのすぐ後ろの真ん中が僕の指定席となっていた。
ここで僕はコーラとお菓子を楽しみつつ、映画を観る。
洋画なのはもちろんで、字幕など読める歳ではなかったはずなのだが、途中から入った場合でも、次の回を最初からちゃんと観て出てきたらしい。
その後は、ロビーでじっと座って待っていたり、本屋で絵本を立ち読みしながら父を待つ。
だいたい、父は僕がどこにいるかを聞いて知っているから、迎えに来る。
泊まりという勤務もあったから、いつもと言うわけには行かない。
しかし、どんな映画を観たかは覚えていないが、それが楽しい日々だったということは、今でもはっきり覚えている。

だからなのか、母に叱られてふてくされると、黙ってバスに乗って、文化会館に逃げ込んでいることがあった。
母があわてて父に電話をすると、探す必要はもうすでになく、劇場の人から僕が来ていることを聞いていることがほとんどだった。

歯医者から逃げたこともあった。
子供なら絶対嫌う歯医者、僕も例外ではなかった。
ただ後に、小学1年生で1週間学校をサボり、ばれなかったという伝説を作った僕は、かなり知能犯であったらしい。
席には着くが、なかなか治療をさせず、医師にひとつひとつ「それはなにをするの?」と器具の説明をさせる。
すべて聞き終えると、納得したフリをして医師が目を話した隙に逃げ出す。
足は速くなかったが、人ごみを縫うのは上手かった。
これは今も変わらない。
そしてやはり文化会館に向かい、映画館の中に逃げ込んでしまう。
ここに入ってしまえば、大声で探すわけにはいかない、ということを子供心にわかっていたのかもしれない。

やがて父が亡くなり、文化会館もなくなってしまった。
映画というのが、非日常への逃避だとすれば、映画館を逃げ場所にするのは正しかったのかもしれない。
ただあの頃の僕の逃げ場所は、映画館だったのかと思うこともある。
それは暗い劇場内ではなく、迎えに来てくれる父だったのではないかと。

東横線の中に、その跡地に立つビルの広告があった。
しかしもうそこは、僕の思い出の場所ではない。
その姿を見ることはもうできない。
ただそれでいいのかもしれない。
思い出は美しく姿を変える。
いいイメージを残したまま、心の中でスクリーンに映るように。

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ryoukouno

紘野涼です。
「スワローズ観察日記R」の管理人
仕事はフリーランスでライターやプランナーなどその他もろもろという感じです。
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