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窓の外に流れるものは止まっている

エッセイ
02 /09 2017
公共の交通機関を使う時、窓の外を見ることが減った。
以前は文庫本や雑誌を読み、今はスマホ。
朝が早かった時は、少しの眠りの時間に使う。
考えるより、何かを得ることの方に比重を置くようになった。
ただそれは、窓の外に新鮮なものはない、と思っていたからかもしれない。

昨年大手広告代理店の新入社員が自殺をした。
深夜残業、セクハラにパワハラ、すべてひっくるめてブラック企業。
メディアやSNSでそんな言葉が飛び交う。
しかし中にいる人は気づかない。
20年、30年前の社員は、
「自分たちもそうだった」
「それを超えたから今がある」
転職組の少ない大企業ほど、そんな考えを持つ。
そして「社会を甘く見ていたんだ」そう思う人たちも少なくない。
でも若い人たちは、少なくともごく最近まで、自由に街を見ていた人たち。
社会に出て、やらなければならないことをたくさん抱え、行く先の決まった場所へ出かけていくことに慣れた人たちが、観なくなった窓の外にいたのだ。

組織の常識と世間の常識は違う。
組織の求めるものと個人の生き方は違う。
そのズレを組織は、埋めるために多くの仕事を与え、自由な時間を減らし、外を見せないことで染めていく。
不思議な社会に戸惑いながらも、必死に受け止めようともがく人は弱い人だと切り捨てられる。
見えるものより、見なければいけないものに目を向けなければだめだと思わされる。
やがて組織人という都合の良い人が育ち、人の気持ちへの感度が落ちた人ほど、一般には偉いという肩書を得る。

信号で止まった先に見えた蕎麦屋が、チェーン店のラーメン屋に変わった。
角を曲がった酒屋が、コンビニに変わっている。
古いアパートがあった場所に、きれいなマンションが建った。
景色は変わっていく。
バス停にランドセルを背負った子供が走っていく。
まだ数年しか生きていない子たちが、街の変化に気づいているのに、乗り物の中の大人たちはなにも見えていない。
生きていくことと仕事をすることが同じになった人たちは、自分たちが流れ乗っていると信じているから、外に興味を持たない。
乗り物に隔離され、運ばれて、組織の常識に縛られている、自分の状況がわからないのだから、窓の外に興味など持つわけがない。
見えている人たちは、役に立たないと降ろされてしまう。
降りる勇気より乗り続けなければならない恐怖が上回る。

本当はその場所にある建物が絵のように流れていく。
電車やバスの窓が開かなくなったのは、いつからだろうか。
窓の外に知り合いの姿を見ても、声をかけるために開く窓がない。
本の窓一枚隔てた外が、声も届かないほどに遠くなった。
冬は暖かく、夏は涼しい。
快適な環境が、感じることを忘れさせていく。
シャッターの前、開店祝いの花を並べている人たちの前で、走っていた子供が足を緩め、その建物を見上げていた。

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ryoukouno

紘野涼です。
「スワローズ観察日記R」の管理人
仕事はフリーランスでライターやプランナーなどその他もろもろという感じです。
こちらではメインブログ、仕事では書けないようなもの、これまで書き散らかしたものをまとめていこうを思っています。
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